徒然日記

Dairiten1012の日記

徒然日記97 ~『天気の子』感想~

地上波初放送の『天気の子』見ました。

めっっっっっっっっっっっちゃくちゃ面白いやん…。去年見に行かなかったの失敗したなー。まあお金なかった時期なんで仕方ないけど。お金あった時期もないけど。

 

全体を通した感想として、公開時に散々言われた「これは00年代のノベルゲー」というものを完全に理解したという感じ。ノベルゲーのプレイ経験がほぼなかったけど、00年代は後半に入ってハルヒを筆頭にライトノベルを読み漁り、00年代前半の作品もまあ読んだ。セカイ系ってヤツも(正直好きじゃなかったけど)結構読んだ。で、『天気の子』はその頃に読んだラノベを読んだ時の感覚と全く一緒だった。19年公開の映画を見てるのに心の中の中学生が大騒ぎしてた。

が、そうでもない俺もいた。というか、映画を見ている時に自分は3人いた。

 

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1人目は映画を外から眺めてる視聴者の自分。この自分はスクリーン(テレビモニタ)というレイヤーのさらに上から俯瞰している。作品の粗というか、つつきドコロが気になっちゃった。帆高くんトカレフ拾ったら家出してるとは言えまずはポリスメンだよ、1発目スカウトマンに当たらなくて本当に良かったね、須賀さん最低賃金はせめて守ろうよ、女子大生が東京で軽自動車所有できるのいいなあ、子供一人が頑張ったら逃走できる池袋警察署めっちゃザルじゃん、中央線4複線3000mマラソンなんで駅員も保線作業員も本気で止めに入らないんだ。などなど。帆高くんが高架を走ってて「ナニアレー」とか言われてたシーン、「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」って本気で思った。

空や街がめちゃくちゃリアルで綺麗(しかしリアルすぎて東京がちゃんと汚い)だからなのか、ファンタジー作品としての「うそ」がめちゃくちゃに目立ってしまうような感じだった。ちなみにその感覚はラストのファンタジーで全部ぶっ飛ぶので、作品鑑賞としてどうでもよかったりする。

 

2人目は物語の中に入り込んでいる自分。あの世界の日本に自分が生きていたとしたらどう思うか、という入り込み方。関東で雨が続けば「農作物に影響出るだろうし、野菜の価格上がるだろうなあ」。帆高陽菜凪の逃避行で警報レベルの大雨→降雪→翌朝ドピカーンな天気で「関東でこの天気ってことはコッチ(中部地方)にも影響出てるし、偏頭痛とかで仕事にならないだろうなあ…」。3年間の長雨で関東水没というラストは「首都機能どうなるんだ…政治は…経済は…。日本社会がどれだけ関東に集中して依存してると思ってるんだ…。失業率と犯罪率は上昇してるし、南関東4000万人が疎開して地方では住宅問題や労働問題が…ああ…。」ってなったり「完全にお台場水没してるし、コミケどこでやるんだろう。大阪城ホールとか入るかな。というかレインボーブリッジすら海面下だから何m海面上昇してんだよ、縄文海進か」とかなってた。

自分は作品を楽しむ時、作品世界の住人だけど物語には一切関係ない市民である自分という妄想をよくしている。アイマスでもPではない、ただのファンの自分のことを考えたりする。アークナイツもドクターじゃない、オペレーターの自分を想像したり。ガンダムだって連邦軍のモブになったのを妄想したり。癖です。

 

3人目は完全に作品にのめり込んでいる自分。2人目と違うのは、2人目は完全に作品と同じレイヤー上に立っているけど、3人目はスクリーンのレイヤーから物語世界のレイヤーを覗き込んでる感じ。つまりは読者(映画見てたけどラノベ読んでる感覚だったので読者)。中学生丸出しの自分が、惚れた女の子のために頑張る帆高を全力で応援してるし、職質に捕まって連行されそうになったらドキドキしたし、夏美さんのスーパーカブタンデム逃走で見せたドラテクにワクワクしたし、代々木の廃ビルで大人の対応を諭す須賀さんにイライラしたり、「もう二度と晴れなくたって良い!!」と叫ぶ帆高に拍手喝采どころか立ち上がって狂喜乱舞したり。東京に戻った帆高に「世界はもともと狂ってんだから」と言う須賀さんなりの優しさにグッと来たり、陽菜が捧げた祈りの先に天使の階段が東京都心に降り注いでいるシーンにうっかりジワっときたり。

特に須賀さんの「世界はもともと狂ってる」はかなり優しい台詞だよなあ。東京が水没するなんて普通のことじゃないし、そのトリガーを引いたのは完全に帆高の言動なわけだし。少年から青年に変わっていくくらいの年代じゃ、責任感じないわけがない。そのころ自意識ってもんが強いし。その前の東京水没に対して「もとに戻っただけ」っていうお婆ちゃんの台詞と合わせて、帆高たちのせいじゃないんだっていう、肩の荷を降ろしてあげてるという風に感じた。

で、ラスト。「あの時僕たちはたしかに世界を変えたんだ」っていう帆高の台詞。大人の優しさをうっちゃるなバカタレ。でも帆高のそういう所を好きになったんだよ。全力全開で青いところ。あの日あの時セカイを切り捨てて陽菜を取ったという「選択」をガッツリ意識しちゃってるところ。ファッキンブルー(クソ青い)。その意識があってこその主人公だもんな。ブラボー!!

 

 

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と、まあ視聴直後の1時間で書きたい放題書いてきたわけだが。文章の乱れとか誤脱字が怖くて読み返せないのでそのまま投稿することにする。

最近、映画でも漫画でも、物語を摂取することに非常に体力を使うようになってしまった。読み出せば早いしどんどん進むんだけど、その読み出すのに必要な体力消費がね…。と言い訳していたらビニールを剥がさないコミックが掛け値なしに20冊を越えてしまったのでそろそろちゃんと読んでいこうと思う。せっかく『天気の子』なんて素晴らしい作品が読めたんだから、その流れには乗らないとね。

 

ちなみに新海誠作品で一番好きなのは『言の葉の庭』です。大学の文学表現の映像化というテーマの授業で見て、「童貞の妄想じゃん」「エロゲでしょこれ」「2ちゃんのSSスレで読んだ気がする」っていう感想をリアクションペーパーに書こうとして必死に押し留めた思い出もあるけれど、とても面白かったですね。何より雨の新宿御苑でビール飲んでる幸薄そうなユキノ先生がどストライクだったんで。