徒然日記54 ~教員にならなかった日~
【概略】塾のバイトで生徒を上手く叱れなかったから、教員になるのを止めました。
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僕は大学に進学した時、教員免許を取るつもりだった。教員養成に強い大学だったし、もともとそういう話で大学進学を許してもらっていたから。
だから、大学1年の夏から始めたアルバイトが塾の講師だったのも、何も不思議ではなかった。
もしあの時、塾講師の講師をしていなければ、僕は素直に教員免許を取得し、教壇に立つ日が来ていたのかもしれない(とはいえ僕のやわらかメンタルで長く続くとは思わないが)。
僕は塾の講師としては、生徒にそこそこ人気があったと思う。説明は細かくて丁寧だし、時間はかけるけど生徒の"分からない"を"分かる"にして帰してあげることもできていた。生徒とのコミュニケーションも、コミュ障なりに頑張って笑いのある授業をやっていた。それに、中学校の授業内容ならほとんど対応できたから、いろんな科目も指導していた。受験期には小論文指導も任せてもらっていた。そんなところを、僕は教室長から褒められていて、生徒から人気がある…なんて旨の言葉ももらっていた。一応、成績アップや志望校へ合格させてあげられていたはずだ。そういう連絡を生徒の保護者さんから教室長経由で受け取ってモチベーションにしていたから。
僕は人に何かを教える仕事が出来るのでは、と自信をつけていた時、ある生徒の担当になった。
彼は塾に来るだけで全く何もしない生徒で、2ヶ月前に入塾してから既に3人の講師が担当したが、講師側が担当生徒を変えてくれと教室長に直訴したらしいツワモノであった。
成績が上がらないから無理やり塾に通わされているが本人にやる気が欠片もないという、よく見るパターンの生徒だった。そういう生徒に問題を解く気を起こさせるのも僕の仕事だと思っていたし、他の生徒では多少なりともやる気を上向かせる事はできていた。
その生徒には全く歯が立たなかった。僕に担当が変わって結局その生徒が退塾するまでの1ヶ月間で、僕は彼に何もできなかった。一度たりとも宿題を提出させることは叶わず、そして1つたりとも構文を覚えさせることはできなかった。
僕が教員を諦めたのは、彼に勉強を教えられなかったためではない。
僕が教員を諦めたのは、彼をちゃんと叱ることができなかったからだ。
人を叱るという行為はとても難しかった。そして今も難しく思う。
叱るという行為を僕は、叱る対象の何が原因で何ができていないのか、そしてそれを改めるにはどうすればいいかを見抜き、誤謬のないように正しく、相手が納得できるようにしてあげなければならないものだと思っている。僕にできなかったのは「正しく、納得できるように」という部分だったと思う。
言葉を飾らずに直球で伝えれば、相手は思春期真っ只中の生徒であるから、少なからず傷つくものだ。そしてそれは塾に来るモチベーション、ひいては勉強そのものへのモチベーションに響く。そしてその影響は意外と重い。
かといって傷つかないように言葉を選べば、自分の言いたいことは伝わりにくくなる。一度それで「先生が何を言いたいのかイマイチ分からない」と言われ、僕が傷ついたことがある。伝わらないなら何のために僕が叱っているのか分からない。
宿題をやってこなかった生徒は叱らねばならない。しかし叱ることができずに、優しく諭すだけでは生徒はやってこない。宿題をやってこない生徒は、塾の授業の復習をする機会が失われ、授業内容が定着しないまま内容が進行し、そしてテストに挑むことになる。結果はお察しだ。それでは塾に来てもらっている理由がないし、保護者からは無能の烙印を押されてしまう。
そして彼を皮切りにそういった生徒に何人も出会い、必死に伝えようと努力もしたが結果は伴わなかった。そうして僕は、教員として大事なことができないのではダメだと思い、免許を取ることを諦めた。
諦めたといえば簡単だが、言葉を変えれば、その努力から逃げただけに過ぎない。
今思い返すと、叱る方法も場所を選ぶべきではなかったか。言葉選びは本当に適切だったか。……など、いろんな後悔が湧いて出てくる。もっとやりようもあったはずだ、もっと努力を続けられたはずだ、と。
……多分これだと僕は僕の何が悪かったかを理解していない気がする。言語化できない反省点はいくつかあるんだけど、言語化できないって、つまり何が間違っていたかを正しく理解できていないんですよね。誰か教えてください。今も別の塾だけど、まだ塾の講師を続けているんですよ。もっと良い講師になりたいじゃないですか。自分で見つけた反省点をフィードバックしつつ、色んな人に聞いて勉強するのがいいのかな。