徒然日記107〜国道1号走破の旅編〜
もう二度とやらねぇ!(時候の挨拶)
お久しぶりです、代理店です。
労働に翻弄されること約1年。ようやく仕事をしている自分が現実であることを受け入れ、仕事と向き合えるようになりました。それまでは「なんかまだ塾のシフト気にしちゃう」などとほざいてましたから、ゆっくりとした進歩です。
さて、そんな私には貴重な友人(大学時代の先輩)が2人います。
ひとりは、もはや当ブログの準レギュラーである、岡崎泰葉Pでおなじみタカボンさん。(もうリンクいらなくない?ってくらい貼りまくってるよね)
もうひとりは、最近一口馬主にどハマリしている野坂守彦さん。
……他に友達いねぇのかと聞かないでください。よく遊ぶのがこの人たちってだけです。
で、この二人の何が貴重か。
それはこの二人が強い長距離移動耐性を持つ旅行好きという点です。
タカボンさんの旅行好きについてはいまさら何をか言わんやというくらいで、まあ本人のブログを見てもらえればという感じ。
野坂さんは大学時代から車を持っていて、色んなところを走っているとの事。奈良の山の中とか、四国山地の山の中とかも走ったことあるらしく、酷道ランナーの性質があるんじゃないかとこっそり思っている。
自分は自分で12時間電車乗って700km移動したり、タカボンさんの東北旅行に相乗りさせてもらったりするくらいには移動耐性が強い方だと思ってる。
で、タカボンさんが前々からTwitterでは国1の話をしていたのもあり、ある日のDiscordで国道1号線走破のドライブに「ゆこう」「ゆこう」と、ホテルも予約した。本当にそういうことになったのである。
それが10月の3連休の話。ブログ書かなくなって久しいからこのネタもだいぶ下書きで寝てました。ごめんね。
筆不精はともかく、10月に本当に570kmを下道で走るだけのドライブが始まってしまったのであった。
しんどいことは覚悟していた。が、あそこまで過酷だとは思わなかった。
主に虚無だったという点で。何しろただ大阪・梅田新道交差点に向けて車を走らせるだけであり、その車にただ乗っているだけなのだから。
10月の3連休が始まろうとしている金曜日の24時。東京・日本橋に集合した我々は道路標示を撮影。ここから我々の旅が始まるのだと盛り上がり、タカボンさんの愛車カローラフィールダーに乗り込んで一路大阪を目指す。
が、いきなりパニック。都内の、しかも皇居周りのゴチャついた道路で国道1号線を見失いかけてしまった。青看板を頼りになんとか桜田門から港区方向に抜けることができ、やっと一安心。でもまだ10kmも走ってない。大丈夫なのかこの旅。
大丈夫じゃなかったんだな、これが。
箱根峠を越えるため、旧道を行くか箱根新道を行くかの簡単な2択を間違え、さっそく1度目のUターン。真っ暗だから箱根新道に入るランプも見えねえのよ…。
箱根峠の静岡側を下る最中に見えた沼津市街の夜景は、神戸や函館や都内に比べればしょっぱいかも知らないけれど、かなり感動したことを覚えている。なぜなら眠気が限界で感動の閾値が下がりきっていたからね。眠すぎると感情おかしくなるよね。
限界を迎えたドライバーのタカボンさんと助手席の僕は、やむなく道の駅富士にて60分の仮眠を取った。後ろの野坂さんは箱根越えてから爆睡してた。
しかしながら、朝起きてからの2時間は非常に快適だった。静岡県内の国道1号線はバイパスとなっており、信号なしで気持ちよく流れていくからだ。なお由比から藤枝まで寝てしまっていたので記憶にない。助手席に座る者としてはあるまじき醜態。
混み合いがちな浜松市街もスルリと抜けて浜名バイパス。やや曇ってはいたが、見事な太平洋を拝むことができた。時間に余裕があれば道の駅潮見坂で休憩もできただろうが、ここまで予定通りであり、疲労感も特になかったのでそのまま愛知入りすることに。
この愛知がつらかった。愛知県内の国道1号線はバイパスではなくただの幹線道路。しかも場所によっては対面通行を強いられる。本当に天下の国1の姿か?これが……。
浜名バイパスが終わって豊橋に入ったのが9時頃で、木曽三川を抜けたのが13時すぎ。名古屋で40分ほど昼飯を取ったとはいえ、愛知区間を抜けるのに3時間以上かかっている。
これが堪えた。とにかくフラストレーションだった。目の前の対岸には三重があるのに橋上で何度足踏みをしたらよいのだ、と。
さらにつらかったのは、この流れの悪さが四日市を抜けて鈴鹿へ向かう方角に逸れるまで続いたことだ。
密室の車内、遅々として進まぬ車、予定から遅れていく進行、そしてたまり続けるフラストレーション。
人をおかしくさせるには十分だった。
鈴鹿峠越えは意外と快適だったことを覚えている。途中道の駅でおやつをつまみつつ滋賀県、栗東方面へ。
栗東から大津まではただひたすら混雑していた。ひたすら、ただひたすらの混雑。地元の例えなので伝わるか分からないが、18時ごろの積志や曳馬のあたりの飛竜街道くらいの混み具合。渋滞とも言えないが流れているとも言えない、なんともフラストレーションのたまるストップアンドゴーを強いられた。
さらに日が完全に沈み、大津〜山科〜京都の区間は、それはそれはもう渋滞してさらにストレス。
京都市街に入り国道1号本来の姿を取り戻すと快適な走行となったが、今度はどこで曲がらなくてはならないかを必死にチェックするターンとなった。地図、ナビ、青看板をひたすらキョロキョロする。なんで京都市街は左折レーンより左側に直進レーンがあるんですか?
伏見や大山崎を越えてからは快適な流れだった。交通量も減り、大阪市街の煩雑なビル街を抜ける。風景はバリエーションに富んでいて楽しかったはずだ。
その頃にはみんな限界を迎えてしまい、ドライバーのタカボンさんの声のトーンは数段落ち、後席の野坂さんは不機嫌を超えて虚無に陥りつつあった。
俺?俺はめっちゃ元気だった。そのまま国道2号に乗ったら姫路まではしゃいでたと思う。
かくして過半数が限界を迎えた国道1号走破の旅は、東京日本橋を出発して21時間半後、満身創痍になりながらもなんとかゴールしたのである。
(大阪から帰る日に撮影した大阪側の道標)
ちなみに。
帰りは本州最南端・潮岬を観光して帰った。
割とみんな元気に観光してたので睡眠の重要性を実感しましたね…。
帰京後、野坂さんにこの話をするとかな〜り不機嫌になるようになった。みんなも人を長距離移動に巻き込む時は気をつけよう!
ちなみに、調べたら『道路時刻表』なるものが過去出版されていたそうです。
それによると、東京−大阪間(国道1号線)の走破タイムは約19時間半。
0時間半頃発、21時15分頃着。途中仮眠1時間、食事45分、諸々の休憩合わせて45分。実走行時間、約19時間15分。
ほぼピッタリじゃないか!
もっと……もっと早く言ってよ……。