徒然日記

Dairiten1012の日記

徒然日記27 〜そんな日もあるさ編〜

人には人の、いろんな日がある。いい日も、悪い日も、平等にある。

このエントリはそんな戯言。

2018.3.14 00:42

死にたい日というものは、きっと皆一度はあったと思う。自分に何らかの悪い影響があった直後であったり、確定して発生することが分かっている嫌なことの前だったり、はたまた長い思索の末に死を求める結論に至ったり……そんな日があるのではないだろうか。

死ぬ日というものは、生きているならば必ず訪れる。理由や形態は様々であるが、皆に訪れてしまう。生きているならば必ず死ぬし、形あるなら必ず壊れる。悲しいが、世界はそうやってできているのだと僕は考えている。

死ねなかった日というものは、皆は体験したことがあるだろうか。死ねなかったという表現は、自殺願望に屈して死を実行したが失敗に終わったり、実行も未遂に終わったりした…というような意味を持つ。そんな死ねなかった日は、皆にはあるだろうか。そんなものはない方が良いのだが。

僕には死ねなかった日がある。

ある時は、ひどく落ち込んだ日だった。定期便となった希死念慮と自殺企図の絨毯爆撃があった日。飲み慣れないお酒を飲んで、睡眠導入剤を摂取した夜のことだ。話せば長いが、寝ている中で無意識に(まるで夢遊病のように)首を吊ろうとしていた。まさに、という瞬間に目が覚めたので事なきを得た。

正直、あのまま死んでいれば、と思う事は少なくない。

ある時は真っ昼間。首を吊ろうと思ってこたつのコードで作ったが、輪に首をかけられなかった。コードを握りしめて、震えて、そのまま動けなくなり、ついには泣き出した。その時は何が怖くて、何が耐えられなくて、何から逃げようとしてメンタルを崩したのか、もはや見失ってしまっていた僕には自殺企図と希死念慮……死にたい気持ちだけが残った。抱えきれなくなったそれを処理するために、その感情に任せようと思ったのに、怖くなってしまったのだ。輪っかを握る間は手が震え、心臓の拍動が普段より何倍も強かった。そのまま首にかけられなかった。怖かった。本当に怖かった。怖くて怖くて、どうしようもなくて、終いには泣き出してしまった。でも話す人も居ないからこうしてはてブロに書き込んでいる。そういう意味でも情けない。

たぶん、自分には自殺など向いてないか、首を吊って死んでしまえる時期を逃したか。このどちらかだと思う。

情けない。恥ずかしい。弱い。くだらない。が、死んでしまうのも怖い。しょうもないヤツだ。

次の機会はだいぶ先の話だ。無くなるとは言い切れないが、当面はない。と思う。

 2018.03.15 01:11

 

2018.3.22 01:00追記

自殺に失敗したことを思い出した日に書いたもので、下書きに残っていたものを引っ張り出してきた。こんな、ごくごく個人的で、自己顕示欲と甘えとかまってちゃん精神と浅ましさとその他諸々が随所に見られるような、大袈裟が過ぎる話の下書きなど、削除してしまえばよかったのかもしれない。

ただ、今はあまり自殺企図の念に襲われなくなった。希死念慮はその頻度を減らしながらもまだ戦っているが、非常に楽にはなっている。

先日の話だ。メンタルがどうしようもなくなって、父に電話を掛けた。その翌日、僕が一人暮らしをしているアパートに、父が仕事を半休を取ってやって来てくれた。流石に洒落にならないと思ったのだろう。実家からは割と近場で一人暮らしをしていて、これなら僕が死んでも腐りきらないうちに引き取りに来てくれるな、とその時は思った。

父と話す中で、父は僕に死ぬなと何度も言った。家族にどれだけの様々な"迷惑"が掛かるかを話した。いろいろ面倒だから死んでくれるな、と言った。道徳的な話は1つも語らなかった。それが普通から少しズレた父らしくて、ひねくれた僕の思考回路にぴったりはまって、また泣き出してしまった。

その後、帰る父を見送り、「綺麗に晴れてるから海沿いのバイパスは気持ちいいんじゃないかな」と伝え忘れたことに気付いて少し笑って、笑えた自分に気が付いて、憑き物が1つ落ちた感じがした。

だから、これも僕の"恥ずかしい過去"として公開してもいいかな、なんて気になった。そんな日だから、投稿した。

2018.3.22 01:33