徒然日記

Dairiten1012の日記

徒然日記78 〜極論、僕らは部外者なのだ〜

ある日。

担当の生徒が授業時間前に泣いていた。

彼女は強いから、授業が始まる頃には涙を流さなくなっていたし、問題もしっかり解くことができていた。まあ、計算ミスは普段より多かったけど。

 

その生徒は優秀で、定期的に行われる塾のテストでも常に上位に位置し、トップを争うレベルであったから、貼り出された成績順位表の真ん中の方にいた彼女の名前に僕自身驚いたし、それを見た彼女のショックは計り知れない。普段は快活でケラケラと笑う女の子なのだが、掛ける言葉もないくらいに落ち込んでいた。

そんな状況では、理由を聞き出そうとする方がより傷をえぐると思って尋ねるのを止め、一言二言伝えて、授業に入った。

 

「そういう日は誰にでもある。次のテストで頑張ろう」

 

今考えれば陳腐極まりなく、生徒には響かない言葉だ。こういうところが一山いくらの3流講師にしかなれない所以なのだと反省する。

 

授業後、他の講師に相談して理由を訊いてもらった。1授業分の時間が空いて、ある程度冷静になっていたからなのか、その講師のトークスキルで聞き出せたのかは分からない(後者なら僕の立つ瀬がないが)。

 

曰く、社員もバイトもとにかく講師がみんな満点を期待するから、それがプレッシャーになっていた。しかし今回満点が獲れなかったので泣いてしまった。ということだった。

 

優等生であることへのプレッシャーに気付かず、笑いながら「満点取れるように頑張ってよー」などと言っていた前週の自分を蹴飛ばしに行きたい。

 

中学生にとっては、周囲の「大人」の発する言葉が持つ力は大きい。それが真面目に従う優等生ならなおさら。大人の純粋な期待は生徒の中で圧力に変化して、生徒へ拘束力を持ってしまう。満点を期待されていたのに獲れなかったという今回の例は、「大人の言いつけを守らなかった」というイメージになって自罰的な感情になり、泣いてしまったのではないかと思う(本人から聞いてない以上想像妄想でしかないが)。

 

そんなプレッシャーになる言葉なら、無視してしまえばいい。極論、僕ら講師は生徒の人生の部外者でしかないのだから。

成績云々でプレッシャーを感じてしまい、結果泣き出してしまうようなら、そんな部外者の言葉は聞かなくていい。今それに従って勉強することが痛苦になるのなら、従うのを止めて、苦しまない程度に勉強を続けて欲しい。

 

誰のために勉強をするのか、という問いに中学生で答えを見つけるのは難しいと思う。僕はひねくれているから、中学3年上がる頃には「究極的には自分のため。次にお金を出してくれてる親のため」と答えを出していた。

 

成績が良くても自分の進路が広くなるだけ。

成績が悪くても自分がいろいろ困るだけ。

でもお金を出してくれているスポンサーだから、親の要求は満たそう。

 

僕はそう思って勉強していた。最終的には勉強する事が楽しくなって勉強そのものが目的になってしまい、大学受験で大敗北を喫するのだが、それは別の話だ。

 

今もこの気持ちは変わらない。生徒のために生徒が勉強してくれるのが一番。塾だって安くないのだから、お金を出してくれてる親の要求には全力で応えるべき。塾で授業を教える講師の教えも、できれば聞いてほしい。それがプレッシャーになるなら、スパッと切り捨ててもいい。

 

もちろん、こんなことは言えるはずもなく、社会性フィルターと所属組織フィルターを通して「次があるさ」という陳腐な言葉になる。僕は所詮、3流である。